月2回の安心して「私」を表現する空間を。
インプットだらけの日常生活。知識のインプット。体験のインプット。さらには、テストでまた理解できているか確認のインプット。
映像文化の時代により、一方的にベラベラ喋りつづける動画たち。派手な音や光で何となく楽しくなり、わかった気にまでさせる。
私たちは、知らず知らずのうちに、インプットのシャワーを浴び続けています。
「オリジナリティを表現すること」「じっくり考えること」「コミュニケーション力」を育てる機会は極端に少ないと感じています。
インプットも大事だけど、アウトプットはもっと大事。
特に7歳~は抽象的な理解ができる脳が発達し始めます。6歳までに体験した沢山の具体がいよいよ抽象として捉えることが少しづつ育っていきます。
この具体⇒抽象 抽象⇒具体を行ったり来たりすることを練習していきましょう。
この地味な繰り返しこそが、思考の整理整頓を促し、スッキリした感覚を体験することになります。結果、自己効力感が着々と育っていくのです。

スッキリしたい。ところでスッキリって何なんだろうね?

スッキリとは、自分の中にあるモヤモヤが翻訳されることかな
逆を言えば、スッキリ感を感じられないまま、何となくインプットのシャワーを浴び、自分が何を考えているのか問うことなく、体験をただ「○○だった」で終わらせ続けると、どうなるのでしょうか?
なんと、
幸せが小さくなるのでした

・・・え!!! ソレは きついです

幸せ感じたい~!!仲間に幸せ感じてほしい~!!
ですよね。
体験を体験で終わらせない。
つまりは「何となく」でスルーしないことがポイントだったりします。
例えば、家族で外食をしたこと。
①○○という場所へ行った。
②こんな料理を食べた。
③帰りは、車内で寝た。
といった体験をしてきました。
「美味しかったです」
これだと、何となく「あ~、美味しかった~。」という思い出として流れていく。そして、そのうちぼんやり忘れてしまうのがオチです。
どのお料理が好みだったのか
どんな会話をしたり、雰囲気・場所はどう感じたのか
その時のわたしはどんな様子だったのか
今それを思い出して、何を感じるのか
どんな言葉がピッタリなのか
等々、言葉にしてみるのです。

考えて、話して、書いてみて、感じてみて。
この繰り返し。
論理的思考も育ちそうです。
言葉のチカラは思っている以上に影響力があります。
そして、何より楽しかったことを語っていたら、あの時の幸せな感覚を2度味わえる!

大切なのは、日常生活をどう過ごすか
marroneでは、宿題にも少し工夫があります。私たちが出すのは、いわゆる「プリント」や「ドリル」ではありません。授業の最後に、今週どんなことを意識して過ごしてみたいかを一緒に考え、それぞれが自分のテーマをもって日常を過ごします。たとえば、「人の話を最後まで聞いてみる」「自然の音に耳をすませてみる」など。そのテーマを“なんとなく意識して”一週間を過ごし、次の授業でその体験をみんなでシェアします。
marroneでは、子どもたち一人ひとりの世界の見方や感じ方を尊重しています。そして、互いの気づきを分かち合うことで、その世界をもっと広く、豊かに育てていきたいと考えています。

ボクの世界は、チーズかな

ボクは、仲間だよ







僕の頭の中、スッキリしたいよ〜。